24kg痩せた大食い看護師ランナーのブログ

40歳男性看護師。体重90kg超えの肥満でしたが、2018年12月より少しずつランニングと自重筋トレを始め10か月で24kgの減量に成功。現在も体型を維持しています。フルマラソンPB2時間39分19秒(2023年11月つくばマラソン)。

2020年2月9日 堀マラソン5kmの部。前半のオーバーペースで後半は大撃沈。惜しくも入賞を逃す。

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タイトルの通り、2020年2月9日に桐生市で開催された堀マラソンの5kmの部に参加したため、その時の様子を紹介したいと思います。過去のことなので、おおざっぱな記事になるかもしれません。

 

この大会には職場の後輩2人と一緒に参加。後輩も男子5kmの部と女子5kmの部に参加しました。

 

当日朝は後輩の車にて3人で会場まで移動。天気はよかったのですが、かなり寒かったため会場近くの駐車場でしばらく待機。スタート70分前くらいに会場へ徒歩で移動。会場に着いてからは各自でアップを開始しました。

 

この大会は伝統のある大会のようで参加人数も多く、中高生もたくさん参加していました。

 

スタート15分前くらいにスタート位置の方に向かいましたが寒かったためかスタート位置に並んでいる方は少なく、みな冷たい風を避けるために建物の近くで身体を動かしていました。

 

レースで使用したシューズは、ズームフライフライニット。当事自分が持っていたシューズの中では一番スピードが出るシューズでした。

 

スタート10分前を切ったくらいにスタート位置に並ぶ。前から4列目くらいに並ぶことができました。

 

確か10時にスタートの合図。

私はこの大会で10位入賞を目指していましたが、さらにこの時は欲を出して確実に入賞するために6位以内を目標にスタートしました。これがそもそもの間違いで、後々無謀な目標であったことを痛感します。

スタート後は予定通り6番目くらいに付きました。自分なりには無理無く走っていたつもりでしたが、1kmの通過はなんと3分8秒。私の練習での1000mの自己ベストがこの時期3分20秒台だったので、明らかにオーバーペースでした。おそらく下りで追い風だったのかもしれませんが、それにしても速すぎです。ただこの時はラップをあまり気にせず、6位以内を守ることに集中していました。

 

1km地点を通過した後は周りのランナーのペースも落ち着き、キロ3分30秒台くらいで巡航することになりました。2.5kmの折り返しを過ぎた所はまだ少し余裕があり、向かい側から走ってきた後輩に手を振ることもできました。

 

3km地点を過ぎた後は地獄でした。建物のすき間のような所から向かい風の突風を受けましたが、それが何回も続くので体力を使いペースダウン。後ろから来るランナーにも次々と抜かれ、抜かれた人数をおおまかに数えていたところ入賞圏外になったように感じました。抜かれても前半のオーバーペースの影響で、他のランナーと戦う力は全く残っていませんでした。

 

5kmがこんなに長く感じたのは初めてで、本当に地獄のように感じました。

最後の方は歩きたくなりましたが、何とか走りきってフィニッシュ。ゴール後はしばらく動けませんでした。

またこの日は寒かったためか、全力で走ったにも関わらず汗がほとんど出ていませんでした。私はどちらかというと汗をかく方なのでこんなことは初めてでした。

 

その後はフィニッシュした後輩2人と合流し、記録証を受けとりました。順位は11位で10位入賞ならず。後輩2人が私の順位を見て残念そうにしていましたが、私は走っている途中で入賞圏外に落ちたように感じたので悔しさはあまりありませんでした。

 

ラップはこちら。


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公式のタイムは17分54秒でした。初めての5kmレースで17分台ならまずまずなのですが。まあ10位以内の方の走りを見ていた感じだと、私が前半落ち着いたペースで走っていたとしてもラストの勝負で負けていたと思います。単純に力不足・スピード練習不足を実感しました。

 

その後は無料で配られている暖かい飲み物を飲んだ後、荷物をまとめて後輩の車で帰宅。帰宅後はシャワーを浴びてから後輩の家に集まり宅飲みしました。

 

 

以上が2020年2月に出場した堀マラソンの紹介でした。この大会で前半のオーバーペースで後半撃沈したため、これ以降の大会では入りの1~2kmを慎重に落ち着いて走るようになりました。

ただ言い方を変えると、このレース以降は攻めるレースができなくなったのも事実だと思います。

この大会に出場した時と比べると現在は走力が上がっていると思うので、そろそろレースの時に前半から攻めたりしてみたいと思います。

 

またこの大会以降もいくつかレースにエントリーしていましたが、この時期から社会情勢が激変してしまい次々と大会が中止になっていきました。そういった意味でもこの堀マラソンにエントリーして走ったことはとても印象に残っています。大会が無い期間はこのレースで撃沈して入賞を逃したことを頭に入れながら練習を続けることになったので。