その③からの続き。
その③で紹介した通り、初フルマラソンは厳しい結果になりました。終盤は両下肢のハム・下腿の痙攣で何度もストップしながら無理矢理走り続けて何とかゴールしたという感じ。
目標としていたタイムや最低限達成したかったタイムにも遠く及ばず。
故障の影響で練習不足だったのは事実であり、実際レース当日も患部に痛みを抱えていたのでDNFしても全く問題はなかったのですが。
それでもボロボロになりながら完走しようと思ったのは、「何となく身体がゴールに向かっていた」ということや「ただの意地」といった無意識で感覚的な部分も大きいと思います。
ただ両下肢が痙攣して何度もストップしている中で、色々なことを思い浮かべて完走するかDNFするか葛藤して考えたのも事実です。今回と次回のブログ記事で、私がDNFでなく完走を選択した理由について紹介したいと思います。
まず両下肢が痙攣している中で一番に思い浮かんだのは家族の存在。
妻については私がバカみたいに毎日走っているのに対して応援しているというよりは呆れているといった感じ。ただ今回はフルマラソンに挑戦するためか、珍しくレースに向けて出発する際に「まあ頑張れよ」みたいな声をかけてくれました。その言葉が励みになったわけではないのですが、私の読みではおそらく妻はレースの結果やタイムには全く興味が無いのですがフルマラソンの42kmを走るということについては少しリスペクトしているような印象がありました。
案の定レースを終えて自宅に帰りタイムは遅かったが完走したことを伝えると、「すごいな」と話していました。妻にとっては私が2時間45分で走ろうが3時間以上かかろうが全く関係なく、42kmを完走したことに感心していたわけです。おそらくこれは私の妻だけでなく、マラソンやランニングにあまり関心の無い世間の9割以上の方も同様に考える方が多いのではないのでしょうか。
あとレース中に思い浮かんだのは息子の存在。息子は私が走っていることなど全く分からないと思います。当然、父親がフルマラソンを最後まで諦めず完走したのか途中で諦めてDNFしたのかなどといったことも分からないとは思いますが。
ただ、息子には分からないながらも何となく父親が諦めず最後まで走り切った姿勢だけでも示したいという気持ちがありました。
上記のように私が初フルマラソンで撃沈しながらも完走できたのは、家族の姿が思い浮かんだことが大きかったように思い今回のブログ記事で紹介させていただきました。
次回は完走できた別の理由についても紹介したいと思います。
その⑤に続く。